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将軍昼食企画*第1次研究成果(3)
続々と、報告が届いております。
こちらは、高橋さんより。詳しくまとめていただきました。
—————————————-
<担当>
鯛
<報告>
①鯛の料理法
江戸初期(1643年)出版の「料理物語」、中期(1785年)出版の「鯛百珍料理秘密箱」に、江戸時代の鯛料理に関する調理法が見られる。当時の料理法を再現した本などで詳しいレシピが分かったものは以下3点である。
ただし、将軍様は塩焼きや刺身などのシンプルな調理法で召し上がることが多かったようである。あくまで江戸上流階級の珍しい調理法という意味でとらえていただきたい。
・「酒浸て(さかびて)」(「料理物語」レシピより)
材料:
鯛、かぶら骨(くじらの軟骨を薄く切り、茹でて干したもの)、塩、だし酒(水のかわりに酒で鰹だしを取ったもの)
作り方(簡略):
鯛は刺身に切り、塩を振りかけて一晩ほど寝かす。これとかぶら骨を混ぜて盛り付け、だし酒をかける。
・「かき鯛」(「料理物語」より)
材料:
鯛、煎り酒(酒2カップに梅干1~2個程度を入れて火にかけ、酒が半分になるまでじっくり煮詰めて漉したもの)、岩茸、すだち、からし
作り方(簡略):
鯛は三枚におろして半身を背と腹に切り分け、皮付きのまま包丁の先で身をかき取る。これを3~5つ重ねて器に盛り付ける。茹でた岩茸とすだちの薄切りを添え、煎り酒をかけて、からしを添える。
・「鯛の香の物寿司」(「鯛百珍料理秘密箱」より)
材料:
飯、鯛、たくあん(「古漬けの良いもの」とされる)、酢、塩、木の芽
作り方(簡略):
酢飯を作る。鯛は三枚におろし、そぎ切りにして塩をし、しばらく置いてから1、2分酢に漬ける。たくあんを薄く小口切りにし、酢飯に混ぜ、鯛を合わせて重石を載せる。半日から一日置いて味をなじませ、ほぐして器に盛り、木の芽を添える。
②吉宗と鯛
鯛に関して、吉宗関連の興味深いエピソードを2点紹介する。(以下、「着想 江戸時代の大ハヤリ食」より)
・吉宗の魚好き
吉宗は粗食を信念とし、平生は一日二食が基本であった。だが、魚は大好物で、その味の善し悪しの判断にかけては抜群の舌を持っていたとされる。ある日の食事で出された鯛について、吉宗が口にしてすぐに「これは、しめ鯛(死んだ鯛)だろう」というので、御膳番が納入の魚商に問い合わせたところ、今日は活鯛がないので死んだのを納めました、とのことで一同恐れいったという。
・「活鯛献上(いけだいけんじょう)」と吉宗
江戸時代には、将軍家にめでたいことがあると「活鯛献上」といって尾頭付きの鯛を諸大名が用意して献上するならわしがあった。そしてその寸法までもが各藩の先例に従って決められていたそうで、例えば薩摩藩は目の下二寸七尺(約82センチ)、土佐藩は二尺四寸のもの、といった具合である。その慣例に関連した吉宗の面白いエピソードがあるので、引用したい。
「さて、正徳三年(1713)三月に七大将軍家継の就任式が行われた。先例によって、大名たちは活鯛献上をするのだが、季節が悪いので鯛がそろわない。江戸の魚問屋の中で大和屋長兵衛だけが持っていた。
大名の方でも高いことは覚悟しているが、幕府への義務を怠って、御家断絶になっては元も子もない。その足もとにつけこんで、大和屋長兵衛は、せいいっぱいに吹っかけた。二尺七寸もの三枚一組で百八十両、一尺四寸ものでも九十両、それに添えるイセエビが一匹五両と記録されている。一両を今の値打ちで五万円とすると、百八十両は九百万円、エビ一匹が二十五万円になる。大和屋は一日で一万両。ざっと五億円を売り上げた。
ところで、それから四年目に、八大将軍吉宗の就任式があった。大和屋をうらやんでいた魚問屋たちは「今度こそ」と張り切った。すると、苦労人の吉宗は、「献上は鯛のヒモノでよろしい」と命令した。とたんに鯛は暴落した。どうもむかしの政治家の方が、頭がよろしかったようである。」
質素・倹約を旨とした吉宗らしいエピソードと言える。
③江戸時代と鯛
江戸時代以前、「ごちそう」の筆頭といえば「鯉(こい)」であった。だが、水産業や運輸手段の発達に伴い、川魚から海魚へと、嗜好の変化が起こった。「①『鯛の料理法』」でも登場した「料理物語」全20部の料理の筆頭に「海の魚の部」があげられ、なかでも「鯛」が最初にあげられていることでも、このことは明らかである。(「鯉」は第3部「川魚の部」の最初にあげられている)
また、1861年に発表された「江戸の料理屋魚づくし見立番付」(中央区立京橋図書館蔵)において、「桜鯛(赤みを帯びた春の真鯛)」が東方大関の筆頭に見立てられている。このことからも鯛の江戸庶民からの人気が伺える。
「鯛」が儀礼に欠かせない魚であったことから、幕府はその確保に苦労したようである。大阪に10人の購入担当者を置き、生魚運搬船とは別に活鯛運搬船をつくり、その技術を発達させたことからも、幕府の「鯛」の珍重ぶりがうかがえる。
④将軍家の禁忌食
鯛は「めで鯛」に通じ、縁起を担ぐ将軍家ではほぼ毎日のように供された魚であったが、(他に「鱚(キス)」なども「喜びごとに通じる」として食卓に上った)逆に食してはいけないとされる食べ物も決められていた。魚介類に関しては以下のものが禁忌食とされていた。
(以下、『江戸のファーストフード 町人の食卓、将軍の食卓』より引用)
「魚類の禁止材料-このしろ・こはだ・秋刀魚・鰯・鮪・鮫・ふぐ・あいさめ・むつ・あかえい・いな・なまず・どじょう・鮒・干物類
(武士は、ふぐについては毒にあたって命を落とすとお家断絶につながるという理由で、また、このしろは此の城に通じ、それを食べるということは縁起がわるいという理由で禁止されていた)
貝類の禁止材料-牡蠣・あさり・赤貝」
また、料理法においても以下が禁止されている。
「料理としてはてんぷら、油揚げ、納豆は禁止である。」
将軍家の食卓は「健康管理と安全」第一であったようである。
<参考文献>
・磯直道著(2006)『江戸の俳諧にみる魚食文化』成山堂書店
・江原恵著(1986)『江戸料理史・考』河出書房新社
・大久保洋子著(1998)『江戸のファーストフード』講談社
・佐藤洋一郎著(2008)『食の文化フォーラム26 米と魚』ドメス出版
・田井友季子著 (1989)『着想 江戸時代の大ハヤリ食』農山漁村文化協会
・原田信男著(1989)『江戸の料理史』中央公論社
・原田信男著(2003)『江戸の食生活』岩波書店
・深井隆一編(1992)『聞き書 埼玉の食事』農村漁村文化協会
・福田浩編著(1991)『江戸料理をつくる』教育社
・福田浩、松藤庄平著(2006)『完本 大江戸料理帖』新潮社
・松下幸子、榎木伊太郎編(1993)『再現江戸時代料理 食養生講釈付』小学館
・松下幸子著(2009)『錦絵が語る江戸の食』遊子館
・百瀬明治著(1997)『徳川吉宗』角川書店
・渡辺泰啓発行(1976)『鯛百珍料理秘密箱 寛政7年版・複製』渡辺書店