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将軍昼食企画*第1次研究成果
杉原さんの研究成果が届きました。
急なお願いにもかかわらず、1週間程度で細かくお調べいただきありがとうございました。
メールでお知らせしたとおり、次の打ち合わせは2月3日~5日まで、6日を予備日として、7日に試作会を行う予定です。
3~5日はいつものように複合文化論系室、7日は埼玉県幸手市民会館です。
それでは、以下に杉原さんの研究成果をupいたします。
———————————————–
香の物
古くはみそ漬け、後世では野菜の漬物を指す。
「香の物」の語は室町時代末期から文献で見られる。『貞丈雑記』(一八四三)には「香の物は味噌漬けを本とする也 味噌の事を古は香と云い 味噌につけたる物故香の物と云ふ 味噌はにおひ高き物ゆへ異名を香ともいひしなり」とある。『日葡辞書』(一六〇三)の「香の物」の項でも大根の塩漬けであると定義されている事から、吉宗の時代の「香の物」は広い意味での野菜漬けであったと考えられる。
江戸時代には香の物屋が江戸、京、浪速の市内などで繁盛し、漬物の種類が多様化した。浅漬け、粕漬け、麹漬け、酢漬けなどといった漬け方もさまざまであり、江戸時代に複雑化していった。種類は沢庵漬け、印籠漬け、家多良漬けなど江戸時代に次々考案され、多岐に渉る。
吉宗に出された香の物がどの野菜を使ったものであったかははっきりしないが、当時、幸手市近傍の一部地域は大根やごぼうの名産地として知られていたという経緯もあり、これらが香の物として供された可能性もある。
当時の「香の物」の一例として、甘味を特徴とする大根の麹漬けであるべったら漬けについて述べておく。江戸時代の『合類日用料理抄』(一六八九)に大根の漬け方として以下のレシピが紹介されている。
「一両日干した大根百本に対し、小糠一斗、塩一升、糀三升を用意する。これらをよく混ぜ合わせ、桶の底に一度振り、大根を置く。霜の降ったような程度に大根の間と上へさらに混ぜたものまぶし、何層も重ねていく」
現代のものとの違いは、高級品だった砂糖の代わりに糀の甘味を利用し、発酵させて風味をつけたという点である。また、塩の純度の違いなども考慮したい。
酒ねりひしお
「ひしお(醤)」は古くは野菜、肉、魚類、穀類などを塩で保存したものを指し、それが漬物や味噌、醤油などに分化していった。江戸時代においては煮熟大豆を主材料とし、麹と塩水を加え醸造したものを指す。江戸時代の料理書にはみそ、醤油と並んでひしおの作り方が詳細に記述されており、広く用いられていたらしい。
江戸時代の「ひしお」には「正木ひしお」、「丸山ひしお」、「円真寺ひしお」、「麦ひしお」などの製品があった。これらは材料の組み合わせ割合や塩分の濃淡に違いがあるが大同小異である。
現在も農村の食べ物として「ひしお」は作られ、醤油もろみや醤油の実、といった名称で呼ばれている。液状の食べ物であり、直接ご飯にかけて食べるものである。こうした食べ方が吉宗の時代に既に存在していた確証はないものの参考にはなるといえる。
ただし「酒ねりひしお」という語自体はいくつかの文献を当たってみたものの見当たらず、「ひしお」を「酒」を加えて「練る」ものととってよいのか迷うところである。語感からすると中に含まれている大豆をすりつぶし、酒と練り合わせるイメージだが、そういった点についてはこれから検討が必要である。
以下のものは『料理集』(一七三三)に掲載された「丸山ひしお」のレシピである。
「大麦一斗をついて皮を取り、一晩水につけ置いて蒸す。大豆四升を炒って引き割り、皮を取る。それらを混ぜて冷まし、小麦二升を炒って粉にしたものと混ぜ合わせる。糀になったところでもみ砕いて天日に干しておく。一方、水一斗に塩二升二合を入れて、煎じる。それを三日冷まして糀と合わせ、一日に二度かき回す。天日に当てずに五十日置く」
酒に関しては、室町時代から江戸時代にかけて現在の酒造りで重要な技術が確立されたとされている。江戸で飲まれた酒は、関東一円で作られた地回り酒も含まれていたがそれらは味で劣るとされており、大部分が西日本、とくに上方で製造されたものだった。当時は水車による精米すらまだ普及しておらず足踏精米によっていたため精白度が低い。加えて酒造りに適した酒米も存在していなかったため、現代のものとは大分味が異なると考えられる。
参考文献:
日本風俗史学会、『図説 江戸時代食生活事典』、雄山閣出版
松下幸子『図説 江戸料理事典』、柏書房
小川敏男、『漬物と日本人』、日本放送出版協会
『江戸時代人づくり風土記11 埼玉』、農山漁村出版協会
川村渉、『味噌醤油の百科』、東京書房社
柚木学、『酒造りの歴史』、雄山閣出版