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将軍昼食企画*第1次研究成果(8)
後藤さんからのご報告をupいたします。
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塩煮の山芋、にしめの蓮それぞれの料理法自体は独力では捜しきれなかったので、それぞれ材料と料理法に分けて報告させていただきます。今回の報告は松下幸子『図説江戸料理事典』を底本として、そこに紹介されていた古典の引用やそれに対する解説をもとに、適宜他の文献を参照しながら作成されています。
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1.塩煮の山芋
(1)山芋について
山芋は当時「薯蕷(じょうよ)」または「やまのいも」と呼ばれていて、とろろや煮物にして食べることが多かった。江戸に運ばれる山芋の中で有名だったのは、陸奥国の南部薯蕷が有名で、今の岩手県で生産されていた(『諸国名物住来』)。
(2)塩について
塩は下総国の行徳塩が江戸に運ばれていたが、塩不足になることが多かったので、その多くを瀬戸内地方の塩に頼っている。『諸国名物往来』でも赤穂塩が特産品として名を連ねていることからもわかるように、播磨国を中心に、備前国、備中国、備後国、安芸国、周防国、長門国、阿波国、讃岐国、伊予国でも塩が盛んに生産され、瀬戸内地方生産の塩は「十州塩」と呼ばれた。
(3)塩煮について
鍋に塩を少し入れて炒りつける料理法。『素人庖丁』二編にはしめじ茸塩煮の料理法が掲載されている。そこでは、材料をよく洗い、塩を入れ炒り、水気がなくなったところで器に盛り付け、青のりや浅草のりをまぶすとある。現在の煮物のように水分を多く入れるのではなく、材料本来の水分と調味料(煮汁)で煮るものだったと考えられる。ちなみに浅草のり(品川のり)は浅草、品川、大森などでとれた海苔のこと。
2.にしめの蓮
(1)蓮について
蓮(蓮根)の生産で有名なのは河内国であるとされている(『毛吹草』)。
(2)煮染について
煮染は、形を崩さず、煮汁の残らないように煮上げる料理法のことである。『図説江戸料理事典』では煮染の料理法について2つのパターンが紹介されている。1つ目は、『江戸料理集』による、「(普通の煮物よりも)塩を少しつよめ(多め)」に入れて煮るものである。これは重箱に詰める際に水分が出ないようにするための工夫らしい。2つ目は、今度は『料理網目調味抄』からのもので、醤油と酒を入れて煮詰め、仕上げに砂糖をまぶす方法である。使われる調味料から考えるに、江戸中期以降の調理法であると考えられる。
(3)蓮灸(はすやき)について
最後に、今回の目的とは直接関係がないかもしれないが、蓮灸についての説明をしたい。蓮灸とは、重に入れる精進料理として『黒白精味集』に紹介されている。その料理法は、まず蓮根の皮を剥き、筋違いに薄く切り、一晩白水に漬ける。ここで白水に漬けるのは、蓮根の変色を防ぐためだという。それから取り出した蓮根は「さわさわと煮」て、辛子を入れて完成だ。
参考文献
松下幸子,1996『図説 江戸料理事典』柏書房
江後迪子,1999『隠居大名の江戸暮らし 年中行事と食生活』吉川弘文館
青木直己,2005『幕末単身赴任 下級武士の食日記』